27歳のときに悪性リンパ腫を発症した天野さん。2000年の当時は5年生存率が50%の時代。2回目の再発をしたときは10%とまで言われた。幸い、2回目の再発時には分子標的薬のリツキシマブを使うことができた。患者団体の理事として活動し、患者の願いを研究や政策決定の場に届けている。天野さんはゲノム医療において本来は車の両輪として進むべき「ゲノム解析」と「現場の意識や患者の思い」が、本当に両輪になっているかという問題提起をした。
“患者の願い”を発信
天野さんが骨髄移植を待っていたときの病棟では同じAYA世代の患者が「飲み薬で白血病が治れば良いのに」「自分の受けている治療が、『昔は治療と称してこんな野蛮なことをしていたのか』と言われる時代が来てほしい」と治療のつらさを吐露していた。今では白血病の飲み薬があるし、骨髄移植や抗がん剤で生じるつらい症状を抑える支持療法も充実している。
天野さん自身はリツキシマブが間に合ったが、この薬の日本での承認が間に合わずに命をおとした患者もいる。海外では承認された薬が日本では未承認のままであるドラッグラグ、ドラッグロスは「患者を苦しめている」と天野さん。こうした状況を少しでも変えようと全国の患者団体が要望書を提出し、2016年の改正がん対策基本法では希少がんや難治がんに対しては「研究の促進について必要な配慮がなされるものとする」という文言が盛り込まれた。
現在は条件を満たす固形がんの患者は遺伝子パネル検査を保険で受けることができる。がんは遺伝子の変異が原因となる疾患なので、どの遺伝子に変異があるかがわかれば、その遺伝子から作られる変異タンパク質を標的とした治療法、つまりその人のがんにあった治療法を選ぶことができる。だが、実際には遺伝子パネル検査で示された薬での治療を受けた患者は7%に過ぎず、その中でも4割はその薬が保険収載されていないために治験に参加したり、先進医療として受けたりなど、なかなかハードルが高いのが現状だ。さらには遺伝子パネル検査で示された薬以外の治療法を受けている人は15%もいる。
天野さんたち全国がん患者団体連合会は、遺伝子検査パネルを①最初から②複数回③より安く、受けられるようにしてほしいと議員に要望している。現在は標準治療がないか終了後が条件となっているが、最初から自分にあった治療法を選択できればタイミングを逃すこともないからだ。また、がんは進行するにつれて変異も蓄積していくので、必要に応じて複数回検査ができれば、そのときのがんに合った治療法を選ぶことができる。
法はできた。さて現場は整っているか
遺伝性腫瘍と診断されると、現在は遺伝カウンセリングを受けられることになっている。しかし、「施設によっての格差が開いている」と天野さんはいう。まだ制度のでき始めなので認定遺伝カウンセラーがいない病院もある。医師の忙しさを考えると個々の患者へのていねいな説明は現実的ではなく、「副教材的な資料があれば良い」と天野さんはいう。ゲノム医療はかなりの勢いで進んでいるが、現場の状況が整っていないために生じている課題があるわけだ。
もう1つの例として、天野さんは薬局での事例を挙げた。現状、薬剤師は病名を知らずに薬を用意するので、「なぜこんなに薬を飲んでいるのか。なんの病気か」と天野さん自身、聞かれたことがあるという。たとえば遺伝性疾患の人が、ほかの人たちが大勢いる場面で「遺伝性疾患の○○だからです」と答えられるだろうか。
差別への不安
若いうちにがんと診断された人には「将来、自分の子どもをもつこと」「がんの遺伝の可能性について」を悩む人がそれぞれ半分以上という調査結果(2015年)があり、日本科学未来館が一般の人に向けたゲノム医療に対する調査(2022年)でも「特に不安はない」という人は2割に留まり、6割は「ゲノム情報による差別」をばくぜんとした不安としてあげている。さらには武藤さんの調査を引用して、「家族歴」や「遺伝性疾患の家系である事実」を受けて、「保険加入の拒否・高い保険料」「学校や職場でのいじめ」「交際相手やその親族から交際を反対/拒否された」が実際にあった事例として紹介された。
米国には「遺伝情報差別禁止法」があるが、日本にはこのようなルールはない。天野さんたち患者団体は以前から議員に対しての要望を続けていたが、天野さんが「これが大きな転機になった」というのは2022年4月に日本医学会と日本医師会が連名で出した「遺伝情報・ゲノム情報による不当な差別や社会的不利益の防止」についての共同声明で「有り体に言えば『さっさと法律つくれや』というもの」と天野さん。その後、患者団体だけでなく日本癌学会、日本人類遺伝学会、日本製薬工業協会などの産学民185団体(最終的には240団体)が共同で要望書を2022年10月に提出。2023年6月に「ゲノム医療法」が成立、罰則はないものの基本理念には「当該ゲノム情報による不当な差別が行われないようにすること」が明記され、策定することになる基本計画には「差別等への適切な対応の確保」が盛り込まれた。
車の両輪として走っているか?
ゲノム医療法よりも一足先に策定された「第3期がん対策推進計画」(2018年)では「PPI(研究計画への患者・市民参画)、ELSI(倫理的・法的・社会的な課題への対応)の推進」が盛り込まれているが、最初の草案にはこれらがなかったという。天野さんは治療法開発の推進とPPI・ELSIの推進は車の両輪のはずだが、「一方の車輪だけで猛スピードで走っていないか」と問題提起をする。さらにゲノム医療に関する国のある委員会が一人を除いてすべて男性だったこともある。「ゲノムは本質的に多様であるのに、それを議論するメンバーが偏っていないか」と天野さん。気にすべきは男女比だけではない。武藤さんもふれていたように「恵まれた人に偏りやすい」という問題だ。
具体例として上がったのは乳がんに関する研究計画。化学療法と分子標的薬の使用で画像では完全寛解となっても、念のための外科手術が行われている。医師たちはこの外科手術をスキップできるかどうかを確かめる研究をしようと考えていた。これに対して患者からは、その研究も重要だが、通常は5〜10年つづくホルモン療法をスキップできる研究も検討してほしいという声が上がった。双方の食い違いを明らかにできたこの議論は、PPIの意義を示す例とも思えるが、「でも、この議論に参加できるのは健康状態が比較的よい人という可能性もあるのです。ホルモン療法の途中で再発をした患者さんだったら『もっと治癒率を高める研究に注力してほしい』という意見が出たかも知れない」と天野さんは言う。「意見を言うことができる状態の人たちの声だけを聞いて、PPIをしたとなっていないか」は武藤さんの話にも出てきた大切な点だ。