セッションの先陣をきったのは武藤香織さん。PPI(研究への患者・市民参画)の定義、世界や日本での歴史、先を行く国にも課題のあること、日本での現状と課題などを振り返った。
まず、PPIの定義は様々な説明がなされているが、様々な文献の共通項を整理したR. L. ハリングトンの2020年の定義を紹介。「研究プロセスのすべての段階における、積極的で、意義のある、協力的な患者と研究者の相互作用であり、互いの特有の経験、価値観、専門性を認識しながら、パートナーとしての患者の貢献によって研究の意思決定が導かれること」。大事な考えとして「一緒に価値やゴールを共有して、良い研究を目指していくこと」であると強調した。一方で日本医療研究開発機構(AMED)や医薬品医療機器総合機構(PMDA)の定義には「一緒に」のニュアンスが薄く、研究者が患者らの声を「一方的に利用する」ような表現になっていることに懸念があると指摘。武藤さんは「スタート地点としてはやむを得ないかもしれないが」と述べつつ、議論や実績が進んでいる英国の例を挙げた。
先を行く国も議論の真っ最中
英国の政府の研究助成機関は、疾患領域ごとにどのような研究を優先させるべきかを、研究者や患者などが議論する取り組みに助成してきた。患者のニーズだけでなく、研究者から見た重要性も考慮される点が特徴だ。「課題の洗い出し」「事実の確認」など7つの段階を経て、「患者が解決してほしい研究課題上位10項目」が決定される。これから研究を始める研究者は、直接、患者に接触しなくても、公開された10項目を見て研究テーマを決めることで「患者の要望に応える研究をしている」という確信を得ることができるという。
もちろん、 “先を行く国”にも課題はあり、例えばがん領域を見ると①サバイバーが多いせいか乳がんが多い②AYA世代を対象にしたものが少ない③関わった人の社会的経済的階層に偏りがある──という。また、研究すべき領域の同定、研究デザインの決定、被験者募集まではPPIがわりと行われているものの、データ収集、データ分析、結果の普及などの段階は研究者のみになりがちだという。
ゲノム医療の分野でよく指摘されているのが、参照されるゲノム情報データが白人男性に偏っていることだ。さらに妊婦や子どものように“保護すべき対象”は研究対象から除外されることが多い。そのせいで新型コロナワクチンの臨床試験が遅れるという事態になった。「誰ひとり取り残さない」という理念からすれば、こうした人たちを守りつつ、どう取り込むかが課題になるだろう。
日本は理念の浸透が課題
世界的にもまだ議論を重ねながら進めているという状況なわけだ。では日本はどうか。武藤さんの紹介によると2015年のゲノム医療実現推進協議会「中間まとめ」に「研究対象者は受動的な範囲にとどまっている」という指摘がまずあり、2016年の健康・医療戦略推進本部の医療分野研究開発推進計画では「被験者や患者の連携を促進する」という記述が「連携」から「参画」というより踏み込んだ表現に変わった。2017年のがんゲノム医療推進コンソーシアム懇談会の報告書では「国民が主体的に参加し、その恩恵も国民が享受すべきもの」という理念が打ち出された。がん対策推進基本計画(第3期)では明確に患者の参画の話が出ている。
順調に前進しているように見えるが、2019年の全ゲノム解析実行計画の第1版では、患者や市民への言及はなかった。政府全体としてPPIを推進する戦略がないため、政策を検討する場にPPIに関心の高い委員がいれば言及されるが、無関心な委員ばかりであると残らないといった不安定なものだと武藤さんは指摘した。理念が定着していないとも言い換えられる。
それが端的に示されたのがAMEDの公募の一件だ。研究資金の分配機関であるAMEDは2023年秋から公募する研究計画の申請書に「患者・市民参画への取り組みについて」のチェック項目を設け、かなり具体的な記載例を入れた。以来、複数の患者団体から「あまり付き合いのない研究者から連絡があり、『一緒にやっていることにしてほしい』と言われた」というような相談が武藤さんのところに来ているという。研究者向けの教育研修の機会が不足しているなか、こうした申請書の見栄えを良くするための形骸化した“患者・市民参画”が進むと、結果的に「患者さんや市民の方の搾取につながる」と武藤さんは指摘する。英国での「患者が解決してほしい研究課題上位10項目」のように、直接に患者の声を聞かずとも、調査報告書や文献から学ぶこともPPIの一環に含まれるという。これは研究者向けに書かれた『患者・市民参画(PPI)ガイドブック ~患者と研究者の協働を目指す第一歩として~』(https://www.amed.go.jp/ppi/guidebook.html)でも繰り返し述べているそうだ。患者や市民が何を望んでいるかを知ろうとすることが研究者としてのPPIの本質だという。
一方、PPIに関心をもつ患者・市民のために、2023年に「はじめて学ぶ『研究への患者・市民参画』」という動画を公開したそうだ。登録して受講し、テストに回答すれば、修了証も発行される。研究者にはなじみ深い「ICR臨床研究入門」で公開しているそうなので、研究者にも見ていただきたいとのことであった(動画はhttps://www.icrweb.jp/course/show.php?id=91)。
また、現実的な問題として、どうしてもPPI協力者は身体的にも、また社会的経済的に恵まれた人々だけで構成されやすくなるので、それに自覚的になることが重要だという。恵まれた人たちの声だけを聞いて「十分に議論した」とするのもまた本質を外すことになるからだ。現在、国も動いており、研究倫理指針に患者・市民参画の観点が盛り込まれる予定だという。